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矢口真里 夫 中村昌也 離婚理由 生報告

中村昌也「PON!」で離婚生報告 硬い表情で「2人で話し合った結果」

 タレントの矢口真里(30)と5月30日に離婚した俳優の中村昌也(27)が3日、レギュラーを務める日本テレビ系「PON!」(月~金曜前10・25)に生出演し、破局について語った。離婚発表は書面によるもので、自身の口で破局に触れるのは今回が初めて。

 中村は番組の冒頭、硬い表情で「先週、報告させて頂いた通り、私、中村昌也は離婚することになりました。ご心配、ご迷惑を関係者の皆さまにお掛けし、深くおわび申し上げます」とファンや関係者に謝罪。「2人で何度も話し合った結果。別々の道を進むことになりましたが、これからも僕らのことを応援よろしくお願いします。今後も仕事にまい進していきたい」と語った。

 一部で報じられている矢口の不倫問題には触れなかった。

 15分後には担当する料理コーナー「今すぐマネシピちなみ(千波)にヘルシー」に登場。料理研究家の浜内千波さんから「これからちゃんとやっていかなきゃいけない」と励まされると「頑張ります」と答え、笑顔を取り戻していた。

 30日、都内の区役所に離婚届を提出。ファクスによる発表で「関係者の皆様ならびにファンに皆様にはご心配やご迷惑をかけて参りましたことをここに改めてお詫び申し上げます」と謝罪。「この結論にたどり着くまで二人で何度も話し合いましたが、お互いの将来を見据えて別々の道を歩んでいこうという結論に至りました」と具体的な離婚理由は明らかにされず、2人とも会見の予定もないとしていた。

サッカー  日本代表  本田ら帰国 練習に合流

サッカー  日本代表  本田ら帰国 練習に合流

 サッカー日本代表のMF本田圭佑(CSKAモスクワ)とFW岡崎慎司、DF酒井高徳(ともにシュツットガルト)の3選手が3日朝、ワールドカップ(W杯)アジア最終予選、オーストラリア戦(4日・埼玉スタジアム)のため帰国した。

 ロシアから成田空港に到着した本田は右腕に昨秋誕生した男児を抱えながら、終始無言のまま車に乗り込んだ。本田は帰国直後に自身の公式サイトで男児の誕生を報告し、「明日には大事なオーストラリア戦もあります。これからも引き続き日本のサッカーへの応援を宜(よろ)しくお願い致します」とコメントした。

 岡崎、酒井高の2人は羽田空港に到着。岡崎は「貪欲にゴールに向かって、代表を引っ張っていければ」と意欲を見せ、酒井高はオーストラリアについて「セットプレーでの高さはヨーロッパのチームに似ている。フィジカルも強く、注意するところ」と警戒した。

 3選手はそれぞれ1日に所属クラブで公式戦があり、合流が遅れていた。3日夕の練習から参加し、4日のオーストラリア戦に備える。日本は勝つか引き分けで5大会連続5回目のW杯出場が決まる。

矢口真里 沈黙 体調不良 復帰いつ

矢口真里は表舞台に現れず沈黙…体調不良からの“復帰”はいつ?

“身長差婚”で話題となった矢口真里と中村昌也だったが、わずか2年で離婚
 タレントの矢口真里(30)と5月30日に離婚した俳優の中村昌也(27)が3日、自身の口で初めて破局について語った一方で、一部で不倫騒動が報じられた矢口は体調不良のため表舞台に現れず、沈黙を守っている。

 同21日に名古屋・CBCの情報番組「ゴゴスマ-GO GO!Smile!」(月~金曜後1・55)、22日にインターネット番組「女子力cafe~やぐちんげーる~」と、いずれもレギュラーとして生出演したが、報道陣の質問には“無言”。

 23日夜に急性胃腸炎を発症。レギュラーを務める日本テレビ系の情報番組「ヒルナンデス!」(月~金曜11・55)は24日、31日と2週連続で生出演を見送り。28日は「ゴゴスマ」を休んだ。

 今月2日には東京・渋谷ヒカリエの「JUNONプロデュース ガールズコンテスト」最終選考会でMCを務める予定だったが、急きょキャンセル。所属事務所は「運営サイドと協議した結果、体調面を考慮しました」と説明。体調は回復しつつあり、今後も芸能活動を続けていくとしている。

 頻繁に更新されていたブログも5月15日を最後に、3日午前11時現在まで更新されていない。矢口が自ら口を開くのはいつになるのか。

復興予算、雇用でも流用 被災地以外に1千億円

復興予算、雇用でも流用 被災地以外に1千億円

東日本大震災の復興予算で2千億円がついた雇用対策事業のうち、約1千億円が被災地以外で使われていることがわかった。被災地以外の38都道府県で雇われた約6万5千人のうち被災者は3%しかおらず、被災者以外が97%を占める。「ウミガメの保護観察」や「ご当地アイドルのイベント」など震災と関係のない仕事ばかりで、大切な雇用でも復興予算のずさんな使われ方が続いている。

 この事業は厚生労働省が担当する「震災等緊急雇用対応事業」で、被災者などの雇用を支援するため、2011年度の復興予算で2千億円がついた。臨時や短期間の仕事に就いてもらい、生活を支える目的だ。

 このうち915億円は、東北や関東などの被害が大きかった9県が運営する雇用対策基金に配られた。11~12年度に計約6万人が雇われ、その約8割を被災者が占める。

 一方、残る1085億円は被災地以外の38都道府県の基金に配られた。朝日新聞が38都道府県に聞いたところ、11~12年度に雇われた人は計約6万5千人にのぼるが、被災者は約2千人にとどまった。

敦賀原発  問題 原電 活断層認定

<敦賀原発>原電は徹底抗戦 2号機活断層認定で

 原子力規制委の調査団の敦賀原発2号機(福井県)の直下を走る断層が活断層だとの認定を受け、日本原子力発電の浜田康男社長は15日、東京都内で記者会見し「結論ありきで、公権力の行使に携わる規制当局として誠に不適切。容認できない」と徹底抗戦する構えを見せた。行政訴訟も「今後の状況次第で検討したい」と表明。7月上旬までに提出する同社の調査結果を踏まえ、結論を出し直すことも求めた。しかし、活断層でない証拠を示すのは難しく、敦賀原発2号機は最終的に廃炉になる公算が大きい。廃炉になれば、巨額の損失を抱えるため、会社存続の危機に直面する。

 原電は同日「(調査団の結論は)客観的な事実やデータによる裏づけを欠く」とする抗議文書を提出。会見で、浜田社長は廃炉を否定したうえで、震災後、当局の指示で投じた安全対策費を「(廃炉になった場合)国に返済してもらえるか研究する」と述べた。

 原電は2011年5月から全原発が停止し、経営が悪化。原発専業のため再建には原発再稼働が不可欠だが、敦賀1号機、東海第2原発とも見通しが立たない。残る敦賀2号機が廃炉に追い込まれれば、多額の損失計上を求められるため、会社存続が困難になりかねない。

 原電に出資する大手電力は約1000億円の債務保証の継続で、原電の資金繰りを支える方針。最終的に廃炉判断は原電に委ねられるため、「再稼働の要求を続け、ねばる考え」(電力会社首脳)だが、再稼働は極めて厳しく、他社との統合や廃炉専門会社になる案も浮上、経営形態の抜本見直しを迫られる可能性もある。

 一方、発電していなくても、原電の原発設備維持のため電力各社は「基本料金」を支払っており、電気料金に上乗せされている。同社が経営危機に追い込まれれば、各社に廃炉負担などが波及し、これも電気料金の上昇要因になる可能性がある。

原発 再稼働 自民党 参院選 公約

<参院選>自民公約原案で「原発再稼働」明記


 自民党が夏の参院選で掲げる公約原案の概要が10日、明らかになった。東京電力福島第1原発事故以降、大半が停止している原子力発電所について、原子力規制委員会による安全確認を前提に「地元の理解を得つつ、国が責任を持って再稼働を行う」と明記。環太平洋パートナーシップ協定(TPP)交渉参加を踏まえ、コメなど5品目の「聖域」確保と、10年で農業・農村の所得を倍増するとの目標を盛り込んだ。

 公約は、昨年の衆院選公約を基に8本柱で構成。安倍晋三首相が意欲を示す憲法改正と、自民党沖縄県連との調整が残る米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)移設問題、社会保障、成長戦略の4点は首相官邸との協議が続いており調整を急ぐ。

 原発再稼働は、昨年の衆院選公約では「3年以内に可否を判断する」としていた。首相が2月の施政方針演説で再稼働方針を明言したため、エネルギーの安定供給に取り組む姿勢を明確化する。

 安全保障政策では、集団的自衛権の行使容認と「国家安全保障基本法」の制定を改めて明記。尖閣諸島の実効支配の強化と維持管理も衆院選公約を踏襲する一方、教科書検定基準ではアジア諸国への配慮を定めた「近隣諸国条項」の見直しを盛り込み、保守層にアピールする。

長嶋 国民栄誉賞 授賞式

長嶋氏、ファンの前であいさつ=国民栄誉賞受賞式

 巨人は2日、東京ドームで5日に行われる長嶋茂雄氏と松井秀喜氏の国民栄誉賞受賞式と松井氏の引退セレモニーの概要を発表した。受賞式では長嶋氏が2004年に脳梗塞で倒れて以降、初めて球場のファンの前であいさつを行う予定。
 引退セレモニーでは、両氏が2人の背番号である「3」と「55」をあしらったオープンカーに乗ってグラウンド内を1周する。また、その後の始球式では松井氏が投手、長嶋氏が打者、原辰徳監督が捕手、安倍晋三首相が球審を務めるという。 
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中国・四川地震 死傷者数 被害状況


<中国・四川地震>死傷者が増え続け、2次災害も懸念


がれきの上を歩いて避難する少女、崩れた幼稚園。救助活動の途中にも次々と余震が襲う。中国四川省雅安(があん)市蘆山(ろざん)県で20日朝に発生したマグニチュード(M)7・0の地震は、死傷者が増え続け、2次災害も懸念される。大気汚染の深刻化や鳥インフルエンザウイルス(H7N9型)感染拡大に続く重大事案に見舞われ、3月に本格始動した習近平指導部は李克強首相を被災地に派遣して陣頭指揮を執らせるなど危機感を募らせている。

 中国版ツイッター「微博」などによると、最も大きな被害が伝えられている蘆山県竜門郷では、山肌に建てられた家屋がほぼすべて倒壊。20日夜の時点でも多数の住民が生き埋めになっているという。

 住民の一人は「電話も通じず、親戚が無事なのかも分からない。余震が何度も起き、しかも大きい」と恐怖を語った。住民の多くが余震を恐れて屋外で身を寄せ合って座り、救助を待っている。

 蘆山県人民病院には次々と負傷者が運び込まれ、緊急手術を待つ人であふれた。中国中央テレビには、屋外で心臓マッサージを受ける男性や、泣き叫ぶ男の子を背負った高齢の女性らの姿が映し出されていた。

 中国政府は軍や武装警察の計7000人以上を派遣して救援活動に当たっている。だが、20日午後には被災地に向かっていた軍の車両が川に転落し、2人が死亡する事故も起きた。

 甚大な被害を出した四川大地震から間もなく5年。省内各地では18~19日に大地震を想定した救援訓練が実施されたばかりだった。

 華僑向け通信社「中国新聞社」は「当時より激しい揺れだった」と語る成都市民の声を伝えた。

ボストン  爆破容疑者 兄弟 素顔  理由 経歴

ボストン爆破容疑者兄弟の素顔

ボストン爆破事件容疑者兄弟の家族は、自動車修理工の父親とともに2002年頃、チェチェン共和国のコミュニティ指導者から資金援助を受けて米国に移住していた。容疑者の家族にアパートを貸していた友人が明らかにした。

米当局は19日、ボストン爆破事件の容疑者として兄のタメルラン・ツァルナエフ容疑者(26)と弟のジョハル・ツァルナエフ容疑者(19)を特定した。兄のタメルラン容疑者は18日深夜から19日未明にかけてマサチューセッツ州ウォータータウンで発生した地元当局との銃撃戦で死亡。警察は逃走中のジョハル容疑者の行方を追っている。2人は18日夜にボストン近郊のマサチューセッツ工科大学(MIT)構内で警察官1人が撃たれ死亡した事件にも関わっているとみられている。

容疑者の家族は、イスラム教徒による抵抗運動がプーチン大統領率いるロシア政府によって弾圧されていたチェチェン共和国から戦争難民として米国に移住してきた。両親の間には容疑者兄弟と娘二人がいる。だが、移住後、周囲にうまく溶け込めなかったようだ。

19日早朝、警察は容疑者の家族が住むケンブリッジのアパートを強制捜索し、近所の通りを封鎖した。

当局によると、容疑者兄弟は同時に移住したわけではなく、1人は02年に両親と、もう1人は04年に単独で移住してきた。諜報部やテロ対策当局は兄弟との関係者がほかにいないか調査している。

また、容疑者兄弟のうちの少なくとも1人は米国に移住後、いったんコーカサス地方に戻り、再び米国に帰ってきたという。

ロシア系ソーシャル・ネットワーキング・サイト(SNS)に「ジョハル・ツァルナエフ」という名前で登録されているページには、ケンブリッジ・リンジ・アンド・ラテン公立高校を11年卒業、ボストン在住と記載されている。また、99年から01年にかけて、チェチェンに近いロシア連邦ダゲスタン共和国の首都、マハチカラの第一学校に通学していたとされている。

このページが容疑者本人のものかは確認していないが、そこでは誕生日が7月22日で宗教はイスラム教であり、「人生で最も重要なこと」は「職業とカネ」としている。

記載されている内容の多くはイスラム教に関するものだ。「興味深いページ」としてイスラム関係のウェブサイトが2件ほど挙げられ、プロフィールのページに掲載されている動画はイスラム聖戦士にシリアへ行って反乱軍とともに戦うことを煽っている。もう1つの動画はコーランを暗唱しながら育った盲目の少年とクウェートのファハド・アル・カンダリとのインタビューだ。それとは別に、コーカサス地域のさまざまな方言をこっけいに真似ている男の動画もある。また、同サイト上の3つのグループに参加しており、うち2つはチェチェン関連、もう1つは音楽と映画に関するグループだ。

同容疑者の名前が19日に流れ出すと数分のうちに弟の「ツァルナエフ容疑者」のものと思われるこのページには、怒りに満ちた糾弾のメッセージや「ギフト」機能を利用したパトカーやダイナマイト、レンガの画像などが投稿され始めた。

また、ボストン在住の写真家のウェブサイトに掲載されているフォトエッセイでは、タメルラン・ツァルナエフ容疑者とみられる男性ボクサーのトレーニング姿の画像に「パスポートのためにボクシングをする」というタイトルが付けられている。当局は、その写真の男性はタメルラン容疑者と同一人物だと述べた。

写真の1つには「チェチェン出身で5年前に米国に移住したが、タメルランは『アメリカ人の友人は1人もいない。彼らを理解できない』と話す」という説明文が付いている。

その写真によれば、タメルラン容疑者は、ユタ州ソルトレークシティで開催されるナショナル・ゴールデン・グローブ大会で体重196ポンド(約89キロ)のヘビー級としてニューイングランドを代表する予定だった。その写真の日付は不明だ。

もう1つの写真ではタメルラン容疑者が上半身裸で女性とふざけながらスパーリングをしており、「非常に信心深いため」ふつうはそのような振る舞いはしないと述べている。

さらに別の写真では、家族がチェチェンから米国に難民として移住する前、90年代前半に一時カザフスタンに何年か住んでいたと述べられている。

この写真家からのコメントは得られていない。

容疑者の家族にアパートを貸していた友人は、容疑者の父親アンゾル・ツァルナエフ氏は腕のよい自動車修理工で、自分の店を開くことが夢だったが、英語が苦手で夢はかなわず、自給10ドルで雑多な修理の仕事を請け負ってやりくりしてきたようだと述べた。

家族の友人によれば、父親は2年ほど前に脳腫瘍を患い、昨年治療のためドイツへ渡ったという。

その友人によれば、家族はケンブリッジの多世帯住宅の最上階で、低所得者層向けの「セクション8」家賃援助プログラムと、家主である老婦人の寛大さを頼りに質素な暮らしをしていた。家主の老婦人は家族の家庭教師をしたり、子供たちが地元のよい学校に行けるよう手伝ったりもした。また、家族は、カザフスタンの石油会社に勤める父親の弟からの資金援助も受けていたという。

家族の友人によれば兄弟は優等生だったが、タメルラン容疑者はコミュニティカレッジを中退し、まもなく宗教の世界に引き込まれていった。弟のジョハル容疑者は「物腰は柔らかかった」という。だが、弟もまた、宗教にのめり込んでいったようだ。

バンカーヒル・コミュニティカレッジの広報担当者パトリシア・ブレイディ氏によれば、タメルラン容疑者は06年秋期、07年春期、08年秋期の3学期在籍していた。

小学校と高校で弟のジョハル容疑者と一緒だったアビー・コーヘンさんは、同容疑者は「とてもよい友人」で「親切でおとなしく、勤勉だった」と回想する。「FBIの動画を見たときはジョハルに似ていると思ったが、そんなはずは絶対にないと思って連絡しなかった」と述べた。5年生と6年生のときに学校で見かけたが、一時国外に移住したもようで、高校時代にふたたび見かけるようになったという。高校ではレスリング部に属し、夏休みはプールの監視員として働いており、「私よりもずっと美術が得意だった」とコーヘンさんは述べた。

ジョハル容疑者と高校が同じだったサミュエル・ゲブルさんは2年下だったため、親しい友人というわけではなかったが、ジョハル容疑者は「非常におとなしい学生」だったことを覚えている。友人からは「ジャハル」または「ジョハル」と呼ばれていたという。

ゲブルさんは「問題児のグループにいるところを見かけたことは一度もなかった。びっくりした」と驚きを隠さず、「FBIの写真を見てもわからなかった。もっと若くて、子供っぽい面影のときしか覚えていなかった」と述べた。

ケンブリッジのウェブスター自動車修理工場社員らは、父親が5年ほど前に同工場で働いていたはずだと述べ、マネージャーのジェリー・シーゲルさんは「父親は英語はあまり話さなかったが、働き者だった」ことを覚えている。ただ、息子のことは覚えていない。シーゲルさんは「やりきれない気持ちだ」と話した。

ボストン爆破事件容疑者兄弟の家族は、自動車修理工の父親とともに2002年頃、チェチェン共和国米国に移住していた。

皇太子 雅子さま オランダ訪問 日程


皇太子ご夫妻のオランダ訪問決定=雅子さま、新国王即位式出席へ


 皇太子ご夫妻がオランダで30日に行われる新国王即位式に出席するため、同国を公式訪問されることが、19日の閣議で了解された。療養中の雅子さまの外国公式訪問は、2002年12月のニュージーランド、オーストラリア以来10年4カ月ぶりとなる。
 宮内庁によると、ご夫妻は28日午後、東京・羽田を政府専用機で出発し、約12時間のフライトを経て同日夜、首都アムステルダム入り。30日、新教会で行われるウィレム・アレキサンダー皇太子の即位式と、王宮で行われるレセプションに臨む。帰国は5月3日。
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