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ボストン爆破容疑者兄弟の素顔

ボストン爆破事件容疑者兄弟の家族は、自動車修理工の父親とともに2002年頃、チェチェン共和国のコミュニティ指導者から資金援助を受けて米国に移住していた。容疑者の家族にアパートを貸していた友人が明らかにした。

米当局は19日、ボストン爆破事件の容疑者として兄のタメルラン・ツァルナエフ容疑者(26)と弟のジョハル・ツァルナエフ容疑者(19)を特定した。兄のタメルラン容疑者は18日深夜から19日未明にかけてマサチューセッツ州ウォータータウンで発生した地元当局との銃撃戦で死亡。警察は逃走中のジョハル容疑者の行方を追っている。2人は18日夜にボストン近郊のマサチューセッツ工科大学(MIT)構内で警察官1人が撃たれ死亡した事件にも関わっているとみられている。

容疑者の家族は、イスラム教徒による抵抗運動がプーチン大統領率いるロシア政府によって弾圧されていたチェチェン共和国から戦争難民として米国に移住してきた。両親の間には容疑者兄弟と娘二人がいる。だが、移住後、周囲にうまく溶け込めなかったようだ。

19日早朝、警察は容疑者の家族が住むケンブリッジのアパートを強制捜索し、近所の通りを封鎖した。

当局によると、容疑者兄弟は同時に移住したわけではなく、1人は02年に両親と、もう1人は04年に単独で移住してきた。諜報部やテロ対策当局は兄弟との関係者がほかにいないか調査している。

また、容疑者兄弟のうちの少なくとも1人は米国に移住後、いったんコーカサス地方に戻り、再び米国に帰ってきたという。

ロシア系ソーシャル・ネットワーキング・サイト(SNS)に「ジョハル・ツァルナエフ」という名前で登録されているページには、ケンブリッジ・リンジ・アンド・ラテン公立高校を11年卒業、ボストン在住と記載されている。また、99年から01年にかけて、チェチェンに近いロシア連邦ダゲスタン共和国の首都、マハチカラの第一学校に通学していたとされている。

このページが容疑者本人のものかは確認していないが、そこでは誕生日が7月22日で宗教はイスラム教であり、「人生で最も重要なこと」は「職業とカネ」としている。

記載されている内容の多くはイスラム教に関するものだ。「興味深いページ」としてイスラム関係のウェブサイトが2件ほど挙げられ、プロフィールのページに掲載されている動画はイスラム聖戦士にシリアへ行って反乱軍とともに戦うことを煽っている。もう1つの動画はコーランを暗唱しながら育った盲目の少年とクウェートのファハド・アル・カンダリとのインタビューだ。それとは別に、コーカサス地域のさまざまな方言をこっけいに真似ている男の動画もある。また、同サイト上の3つのグループに参加しており、うち2つはチェチェン関連、もう1つは音楽と映画に関するグループだ。

同容疑者の名前が19日に流れ出すと数分のうちに弟の「ツァルナエフ容疑者」のものと思われるこのページには、怒りに満ちた糾弾のメッセージや「ギフト」機能を利用したパトカーやダイナマイト、レンガの画像などが投稿され始めた。

また、ボストン在住の写真家のウェブサイトに掲載されているフォトエッセイでは、タメルラン・ツァルナエフ容疑者とみられる男性ボクサーのトレーニング姿の画像に「パスポートのためにボクシングをする」というタイトルが付けられている。当局は、その写真の男性はタメルラン容疑者と同一人物だと述べた。

写真の1つには「チェチェン出身で5年前に米国に移住したが、タメルランは『アメリカ人の友人は1人もいない。彼らを理解できない』と話す」という説明文が付いている。

その写真によれば、タメルラン容疑者は、ユタ州ソルトレークシティで開催されるナショナル・ゴールデン・グローブ大会で体重196ポンド(約89キロ)のヘビー級としてニューイングランドを代表する予定だった。その写真の日付は不明だ。

もう1つの写真ではタメルラン容疑者が上半身裸で女性とふざけながらスパーリングをしており、「非常に信心深いため」ふつうはそのような振る舞いはしないと述べている。

さらに別の写真では、家族がチェチェンから米国に難民として移住する前、90年代前半に一時カザフスタンに何年か住んでいたと述べられている。

この写真家からのコメントは得られていない。

容疑者の家族にアパートを貸していた友人は、容疑者の父親アンゾル・ツァルナエフ氏は腕のよい自動車修理工で、自分の店を開くことが夢だったが、英語が苦手で夢はかなわず、自給10ドルで雑多な修理の仕事を請け負ってやりくりしてきたようだと述べた。

家族の友人によれば、父親は2年ほど前に脳腫瘍を患い、昨年治療のためドイツへ渡ったという。

その友人によれば、家族はケンブリッジの多世帯住宅の最上階で、低所得者層向けの「セクション8」家賃援助プログラムと、家主である老婦人の寛大さを頼りに質素な暮らしをしていた。家主の老婦人は家族の家庭教師をしたり、子供たちが地元のよい学校に行けるよう手伝ったりもした。また、家族は、カザフスタンの石油会社に勤める父親の弟からの資金援助も受けていたという。

家族の友人によれば兄弟は優等生だったが、タメルラン容疑者はコミュニティカレッジを中退し、まもなく宗教の世界に引き込まれていった。弟のジョハル容疑者は「物腰は柔らかかった」という。だが、弟もまた、宗教にのめり込んでいったようだ。

バンカーヒル・コミュニティカレッジの広報担当者パトリシア・ブレイディ氏によれば、タメルラン容疑者は06年秋期、07年春期、08年秋期の3学期在籍していた。

小学校と高校で弟のジョハル容疑者と一緒だったアビー・コーヘンさんは、同容疑者は「とてもよい友人」で「親切でおとなしく、勤勉だった」と回想する。「FBIの動画を見たときはジョハルに似ていると思ったが、そんなはずは絶対にないと思って連絡しなかった」と述べた。5年生と6年生のときに学校で見かけたが、一時国外に移住したもようで、高校時代にふたたび見かけるようになったという。高校ではレスリング部に属し、夏休みはプールの監視員として働いており、「私よりもずっと美術が得意だった」とコーヘンさんは述べた。

ジョハル容疑者と高校が同じだったサミュエル・ゲブルさんは2年下だったため、親しい友人というわけではなかったが、ジョハル容疑者は「非常におとなしい学生」だったことを覚えている。友人からは「ジャハル」または「ジョハル」と呼ばれていたという。

ゲブルさんは「問題児のグループにいるところを見かけたことは一度もなかった。びっくりした」と驚きを隠さず、「FBIの写真を見てもわからなかった。もっと若くて、子供っぽい面影のときしか覚えていなかった」と述べた。

ケンブリッジのウェブスター自動車修理工場社員らは、父親が5年ほど前に同工場で働いていたはずだと述べ、マネージャーのジェリー・シーゲルさんは「父親は英語はあまり話さなかったが、働き者だった」ことを覚えている。ただ、息子のことは覚えていない。シーゲルさんは「やりきれない気持ちだ」と話した。

ボストン爆破事件容疑者兄弟の家族は、自動車修理工の父親とともに2002年頃、チェチェン共和国米国に移住していた。






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